タイで、高校教師らが担当科目の試験を受けたところ、 あまりの落第率に驚いているそうです。 これは、タイの教育省が行った初の試みで、 全国の教師と校長8万4000人以上が参加しました。 落第率は、コンピューター科目が約88%、 数学84%、生物86%、物理71%でした。 また、参加した校長約3万7500人のうち 約95%が、英語と科学技術で合格点を取れませんでした。 教師がこのような状況なのに、 生徒の学力を上げることが出来るのでしょうか? 日本でも、教師の質が問われていますが、 教師の試験と言う試みは必要かもしれませんね。
日本の、園児と児童数が減少しています。 文部科学省のデータでは、20年度と21年度を比べて、 園児は4万4千人減少、児童は5万8千人減少、 幼稚園数も、国公立と私立を合わせて110園減少 小学校は218校減少しています。 教員数については、幼稚園では千人ほど減少していますが、 小学校は、全年度とほぼ同数でした。 子供たちに、より良い教育体制を質の向上とともに 整えて頂きたいものです。 寺子屋という、江戸時代の庶民を対象とした 教育施設は、僧侶や武士や医師などが、 庶民の子弟に読書算や実務上の知識・技能を教育した 施設です。 寺子屋の起源は、中世の寺院での教育に遡ると 言われています。 江戸時代に入り、文書主義などにより、 実務教育の需要が一層高まり、 先ず江戸や京都などの都市部に寺子屋が普及しました。 その後、農村や漁村へも広がりを見せ始め、 江戸時代後期に著しく増加したといわれています。 寺子屋の教師を養成する学校もありました。 また今日の塾と違い、当時の寺子屋の師匠は、 往々にして一生の師である例も多く、 師匠が死んだ時には、筆子(寺子屋の生徒)が 費用を出し合って師匠の墓を建てる事が 珍しくありませんでした。 そのような墓を筆子塚といい、 房総半島だけでも3350基以上の筆子塚が 確認されています。 江戸における嘉永年間(1850年頃)の就学率は 70~86%といわれており、イギリス、フランス、 ソビエト連邦などが25%以下の就学率であったことからも 外国に比べ教育水準はとても高かったと言えます。 幕末期には、江戸に約1500校、 全国では約15000校の寺子屋が存在したそうです。 日本最古の学校と言われている足利学校