映画「007」シリーズに登場した ジェームズ・ボンドの愛車 アストン・マーチンDB5が27日、 ロンドンでオークションに出品され、 260万ポンド(約3億3000万円)で落札されました。 オークションを主催したRMオークションズが、 世界一有名な車と評するこの車は1964年製で、 ボンドを演じたショーン・コネリー が『007/ゴールドフィンガー』と 『007/サンダーボール作戦』で乗っていたものです。 イジェクトシート、回転するナンバープレート、 機関銃、防弾装甲、追跡装置、取り外しできる屋根、 煙幕発射・オイル散布装置など、 「アームレストに隠されたボタン」で操作する 映画ではお馴染みの仕掛けが施されています。 オークションに出品したのは 米国ペンシルベニア州のジェリー・リーさん。 1969年に1万2000ドル(約98万円)でこの車を購入し、 自宅に作った専用スペースにほとんど置いていたそうで、 収益は慈善団体に寄附される予定だとか。
アストンマーチン・DB5は、イギリスの乗用車メーカー アストンマーチン・ラゴンダ社が製造した スポーツカーです。 英国バッキンガムシャーの村・アストン・クリントン の前半と、創業者のひとりライオネル・マーティン のラストネームに由来します。 バッキンガムシャーはイングランド南東部の地域で 肥沃な農業地があり、多くは所有者のいる土地です。 特に19世紀にロスチャイルド家が所有していた産業は 農業を主体に家具造り、製薬会社、などがあるそうです。 バッキンガムシャーはアングロ・サクソン語で、 「ブッカの家のある地区」を意味します。 「ブッカの家」は、バッキンガムシャー北部の バッキンガムのことで、アングロ・サクソン族の 地主に因んだものだということです。 アングロ・サクソン人は、5世紀頃、 現在のデンマーク、北部ドイツ周辺から グレートブリテン島に渡ってきた アングル人、ジュート人、サクソン人の ゲルマン系の3つの部族の総称である人たちです。 彼らは先住のケルト系ブリトン人を支配し、 ケルト文化を駆逐しました。 これが英国における最初のアングロ・サクソン人です。 彼らの言葉が英語の基礎となったそうです。 グレートブリテン島は、多くの民族の歴史が 絡み合っていて複雑ですね。 ちなみに、地名とは異なりますが、 「バッキンガム宮殿」は、ロンドンにあり、 現在、イギリス王室の公式の宮殿です。 1703年に、バッキンガム公が 自らの邸宅として桑畑を購入して建てた バッキンガムハウス が始まりとされています。 当初は粗末な邸宅でしたが 1761年にジョージ3世が、王妃シャーロットと 子供達の為に譲り受けて私邸として使うようになり、 引き続き王位に上がったジョージ4世が、 バッキンガムハウスを1825年から12年かけて 全面改築しました。 1837年にヴィクトリア女王の即位の際に セント・ジェームズ宮殿から移り住み、 以後バッキンガム宮殿はイギリス王室の公式の 宮殿となったわけです。 バッキンガム宮殿↓(注意:音が鳴ります) 日本の宮殿と言えば、 皇居や京都御所、桂離宮、沖縄の首里城 などだそうです。 お国が変われば、 建物も違いますよね。
340kgを超える巨体から美しい歌声で魅了する、 13年前に亡くなったハワイアン・シンガーの 「イズラエル・カマカヴィヴォオレ」通称IZの歌が今、 ドイツのヒットチャート・トップに 躍り出て話題を呼んでいるそうです。 IZはホノルルで生まれ、11歳の時に 兄のスキッピーとともに音楽活動を開始し、 バンドに参加しました。 同バンドは1980年代にかけて活動し人気を博すものの、 1982年に兄のスキッピーが心臓発作で 亡くなってしまいました。 その後IZはソロアルバムを出し、 ハワイ以外でも広く知られるようになりました。 1997年6月26日、肥満が原因で38歳の若さで 死亡しました。 「虹の彼方に/この素晴らしき世界」という曲は 数多くの映画やテレビ番組、 及び広告で使用されています。 IZの歌
ウクレレは、小型で4弦のギターによく似た弦楽器です。 ポルトガルからの移民が持ち込んだブラギーニャ と呼ばれる楽器を起源とし、ハワイで独自に改良を 重ねられて現在の形になったとされています。 ウクレレという言葉はハワイ語で 「飛び跳ねるノミ」という意味で、 当時の人気奏者のあだ名から取られたとも、 小さな楽器の上で奏者の指が目まぐるしく動く様を 表現したとも言われています。 ウクレレ奏者のジェイク・シマブクロさんを ご存知でしょうか。 日系5世のアメリカ人ですが、稲妻のような超速弾きと 正確無比なテクニックを併せ持つ、 スーパー・ウクレレ・プレーヤーと言われています。 ウクレレは、4歳の時に母親から教わったそうで、 高校卒業後にバンドでデビュー。 2002年にはソニー・ミュージックジャパン インターナショナルと専属契約を交わし、 ソロデビューを果たしました。 ハワイ州観光局イメージキャラクターを3年連続 勤め、日本のCMソングに提供したり、テレビ出演や コンサート活動などを行っています。 ジェイク・シマブクロ ★☆ちょっと一言 ☆★ 子供の頃から学んだものは 自然と身について行くものですね。 勉強や、スポーツ、芸術などで 「もっと子供の頃からしておけばよかった」 と言う事があります。 ひょうたん水も、 「もっと早くから出会っていればよかった」 というお声を聞きます。 とても嬉しいです。
ドイツ・ベルリン動物園の人気者、 シロクマのクヌートが、 年長のメスたちからイジメを受けているそうです。 3歳のクヌートは、数週間前から母親のトスカや 「花嫁候補」の2頭のメスと同じ檻で暮らしています。 ところが、メスの1頭がクヌートののど元に飛びかかり 噛み付こうとしたあと、クヌートを池に 突き落とすなどの行動が目撃されているということです。 けれども、飼育係は、よくあることだとして あまり心配していないと言うことです。 クヌート
クヌートは2006年12月5日にドイツのベルリン動物園で 生まれたホッキョクグマです。 母グマのトスカが育児放棄したため、 飼育係がクヌートと同時に生まれたもう1頭を 母グマから引き離し(もう1頭は生後4日目に死亡)、 人工哺育を行いドイツ国内のみならず 世界中での人気を集めました。 母親はカナダ生まれで、 旧東ドイツの国営サーカスで芸をしていました。 父親はミュンヘン動物園生まれです。 ホッキョクグマの人工哺育については、 種のあり方にふさわしくないため、 クヌートを薬殺処分するべきだとの 動物愛護活動家の記事が掲載され、 一時期、「安楽死の是非」についての議論が 巻き起こり、世界各国でも大きく報じられました。 ホッキョクグマは、雑食獣であるクマ類の中で 最も肉食性が強い種です。 同類では最大のサイズを誇り、 オスの成獣で体長2.5~3.0mで体重250~600kg。 メスは体長180~250cmで体重100~300kgほどです。 「地上最大の肉食獣」と称される事も多く、 野生下では主にアザラシなどを主食とし、 植物性のスゲや昆布なども食べます。 飼育下では主に馬肉や魚類などのほか、 栄養バランスを考慮し、果物や野菜などの 植物性の餌も与えられます。 旭山動物園の場合、1日に与える馬肉は9kg、 オオナゴが2.5kgだと言う事です。 寒冷地に適応していて、独特の体毛を有するほか、 耳介の小ささも適応の結果と考えられています。 なお泳ぎが上手いことで知られ、 長い首や流線型で小さな頭は遊泳への適応とされ、 何時間も氷海を泳ぐ事ができます。 ホッキョクグマとヒグマは、約15万2000年前に 共通の祖先から枝分かれしたと言われていますが、 昨今温暖化の影響もあり、 ヒグマとホッキョクグマの生息域が重なり 「ハイブリッド」と呼ばれる ヒグマとホッキョクグマの交配種が確認されて います。 ハイブリッドは体毛はホッキョクグマのように白いが、 盛り上がった肩と土を掘るための湾曲した長い爪など ヒグマの特徴を強く受け継いでいるということです。 ハイブリットのくま
一昨日、ワイドショーで、懐かしい曲を聴きました。 1980年代のアメリカのロックバンド「シカゴ」 が歌った「素直になれなくて」と言う曲です。 映画のワンシーン等に使われこともありましたね。 素直になれなくて「シカゴ」 静かな夜に、音楽を聴きながら 読書をしたり、パソコンに向かったり そのまま、眠りこけたり・・・・。 して、過ごすのも良いですね。
ワインをテーマにした人気漫画で テレビドラマにもなった「神の雫」で 最高のワインであるとして、 フランスのシャトー・ル・ピュイの 2003年物が紹介されました。 その漫画は、各国語に翻訳されたため、 日本のほか韓国や米国からそのワインの注文が 殺到し、1本15ユーロ(約1700円) 程度だったワインが1000ユーロ (約11万3000円)以上で取引されるなど 銘柄の価格が高騰しました。 17世紀からワインを作り続けている フランス南部ボルドー地方のシャトー(醸造所)の 当主は「ワインは投機の対象ではない」として このほど、シャトー・ル・ピュイの2003年物の 出荷を停止しました。 出荷を止めた03年物1200本は、 10年後から計画的に放出する予定だということです。 漫画の内容は、世界的なワイン評論家の 遺産を得るために、実子と養子がテイスティングを 競うというお話です。 フランス国内では「神の雫」の評価は高く、 伝統あるワイン専門誌 「ラ・ルビュー・ド・バン・ド・フランス」は、 ワイン界に貢献したとして昨年の最高賞に この漫画の原作者、亜樹さんとオキモトさんを選びました。 フランス人以外が選ばれたのは初めてだそうです。
1610年に設立されたシャトー・ル・ピュイで 造られる赤ワインは、シャトー名と同じ名を持つ 「シャトー・ル・ピュイ」と「バルテレミ」の2種類です。 前者が有機栽培法で、 後者はビオディナミ(バイオダイナミック)農法です。 (ビオはギリシャ語で命の意味) 「有機栽培」は、農薬や除草剤、化学肥料を使用しない 農法です。オーガニックワインと呼ぶこともあります。 畑の畝には、雑草が生い茂っています。 このように、有機栽培においては除草剤を使用せず、 土を雑草ごと掘り起こして堆肥にしていたりします。 「雑草も自然の恵み」なのです。 このような健全な畑で育つブドウの平均樹齢は55年。 大地にしっかりと根を下ろし、土壌の深いところから、 ミネラル分をしっかりと吸い取り、 豊かな味わいをもたらします。 「ビオディナミ」は、これも農薬や除草剤、 化学肥料を使用しないという点では有機栽培と同じですが、 より厳格な規制に縛られているのがこの農法です。 ビオディナミワインまたは、ビオワインとも呼ばれます。 土壌やブドウに悪影響を与える化学調剤を一切使用せず 天体の動きを観測し、ブドウを摘む時期などを 決めています。 農薬など化学調剤を使用してブドウを栽培する場合、 ブドウに付く自然の酵母が殺されてしまっているため、 発酵を促すには酵母を再添加しなければなりません。 また、より多くの人に好まれる香りを付けるために 芳香性の酵母を加えたり、収穫されたブドウの糖度が低く、 アルコール度数が足りない場合は補糖を行うこともあります。 このような人為的な「操作」を、 ビオディナミでは禁じているのです。 シャトー・ル・ピュイのワイン造りには、どちらの製法も、 ブドウの収穫はすべて手摘みで行われ、 数回にわたって非常に厳しいブドウの選別が行われます。 「シャトー・ル・ピュイ」のみ酸化防止剤(SO2)を 使用しますが、それもごくごく限られた量に留め、 自然のままを保つ努力がなされています。 あえてワインがしみ込んだ古い樽を使用し、 毎週、熟成度を見るために試飲されます。 そして瓶詰めにおいては、 より外界の異物からワインを守るために、 コルク栓を蝋で封印します。 ですから一層、土地固有の繊細さが表現された 自然派のワインとしても最高のワインと 言われるのでしょうね。 ワイン講座 ★☆ちょっと一言 ☆★ ワインも、農薬や除草剤、化学肥料を 使用しない方が、おいしいのですね。 ひょうたん水も、地球のエネルギー、 宇宙のエネルギーでいっぱいの 清涼飲料水です。 馴染みのない味だと感じる方もいるかと思いますが ワインのように味わって飲むのも良いですね。
夜間に光に当たり過ぎると体重増加につながる 可能性があるとの論文が、発表されました。 米オハイオ州立大の研究チームは マウスを使った実験を行いました。 マウスを3グループに分け、 24時間明るい部屋、 16時間明るく8時間暗い部屋(通常の昼夜のサイクル)、 16時間明るく8時間薄明かりにする部屋 のいずれかに置いて、8週間実験しました。 その結果、夜間薄明かりの環境下に置かれた グループの体重は、通常の昼夜のサイクルに置かれた グループに比べて、1週目から著しく 増加したということです。 このグループの実験終了時の平均体重増加率は 通常の昼夜のサイクルに置かれたグループ より約50%も多かったのだそうです。 なお、24時間明るい環境下に置かれたグループの 体重増加率も、通常のサイクルに置かれた グループよりは多かったということです。 夜間にコンピューターを頻繁に使う人、 夜間にテレビを長時間みる人は、 誤った時間帯に食事をして代謝作用を 混乱させている可能性があるということです。 摂取カロリーと運動量のバランスがとれている にもかかわらず体重が増える人については、 こうした環境要因で説明できるということです。
日本では、特に実験用に改良・繁殖した 飼養変種を指して「マウス」と呼ぶことが多いですが マウスはあくまでハツカネズミの飼養変種です。 他に、実験用動物として、ラットとモルモットが代表的です。 ラットは、野生のドブネズミを改良したものです。 モルモットは、テンジクネズミ属の一種で、 温和で比較的飼いやすいため、愛玩用としても養殖 されているそうです。 ハツカネズミは、 妊娠期間が20日程度であることから 「はつかねずみ」の名が付いたとされています。 マウスは、愛玩動物として飼育されることもあり、 日本でも、江戸時代から白黒まだらのハツカネズミが 飼われていました。 この変種は日本国内では姿を消してしまいましたが、 ヨーロッパでは「ジャパニーズ」と呼ばれる 小型のまだらマウスがペットとして飼われており、 DNA調査の結果、これが日本から渡った ハツカネズミの子孫であることがわかったそうです。 現在は日本でも再び飼われるようになっているのだとか。 小動物のペットと言えば、ハムスターが代表的ですね。 ハムスターの視力はあまり良くなく、また色盲です。 そのため、外界の状況の把握は聴力と嗅覚に頼って います。 高周波を聴くことができるといわれており、 超音波で互いにコミュニケーションしているとも 考えられています。 急激な温度変化、乾燥や日射しには非常に弱く、 数10分の日光浴で死んでしまった例もあるそうです。 また特に温度が低くなった場合、擬似冬眠と呼ばれる 体温が低くなって死んだように眠ってしまう 状態になることがあります。 そのままにしておくと死んでしまうため、 ゆっくりと温めて起こす必要があるそうです。 ハムスター↓(注意:音が鳴ります)
中国製のタバコに、鉛、カドミウム、 ヒ素などの重金属が多く含まれ、 一部の製品ではカナダ製タバコと比べて 3倍にも上っているそうです。 これは、20か国の専門家が参加する 「国際たばこ規制プロジェクト」が行った 11件の調査研究に関する報告書によるものです。 専門家らは、中国国内にタバコに 関する強い規制がないことを一因として挙げ、 「中国製タバコの輸出は拡大しており、 世界的な健康問題となり得る」と 警鐘を鳴らしているそうです。
タバコの語源は、スペイン語やポルトガル語の 「tabaco」です。 タバコ自身は15世紀にアメリカ大陸からヨーロッパに 伝えられたものですが、それ以前からスペインでは 薬草類を「tabaco」と呼んでいました。 スペイン語の「tabaco」 は、古いアラビア語で 薬草の一種を示す「tabaq」という言葉が語源であると みられています。 この単語が、フランス語では「tabac」、 ドイツ語では 「Tabak」、英語では 「tobacco」 となり、日本では「タバコ」として広まりました。 漢字の当て字としては「多巴古」、 「佗波古」、「多葉粉」、「莨」、「淡婆姑」などが 用いられる事があるが、「煙草」と書かれる事が 最も多いです。 全世界の葉タバコの生産量は、約635万トン(2002年) であり、全体の3割以上を中国1国で生産しています。 1.中国 - 239万トン (37.7%) 2.ブラジル - 65万トン (10.3%) 3.インド - 58万トン (9.1%) 4.アメリカ - 40万トン (6.4%) 紙巻タバコの最大生産国も中国で、シェア3割を超えます。 1.中国 - 1兆7000億本 (31.1%) 2.アメリカ - 5800億本 (10.6%) 3.ロシア - 3740億本 (6.8%) 4.日本 - 2372億本 (4.3%) 恩賜のたばこ(おんしのたばこ)を ご存知でしょうか? 日本たばこ産業(JT)が宮内庁にのみ納めていた 恩賜専用のタバコです。2006年末で廃止になりました。 来賓用のたばこ(折枝)の吸い殻箱には「賜」 の文字が入っており、たばこ1本ずつに 天皇家を表す菊花紋章(十六八重表菊)が入っています。 パッケージングの際には、全部の菊紋が上を向く様に きちんと揃えられ、成分的には普通のたばこと何ら 変わらないが、たばこ葉は純国産品です。 当然ながら市販はされず、叙勲者や天皇家の来賓、 宮内庁奉仕団、皇室関連ボランティア活動、 などへの謝礼品として使用されていたそうです。 参考↓ http://gutenbergexpos.com/2009/03/post_8.html ★☆ちょっと一言 ☆★ 相変わらず怖い、中国の商品。 出来るだけ、中国製を買わないようにと、 スーパーでも、裏書を確認します。 ひょうたん水は、材料も容器も、純国産です。 安心してご使用下さい。
仏パリ市内のアパートから見つかった1 9世紀のイタリアの画家ジョバンニ・ボルディーニ が描いた女性肖像画がこのほど、 210万ユーロ(約2億4000万円)で落札されました。 競売にかけた仏美術専門商によると、 ボルディーニ作品としては史上最高額だということです。 絵画が見つかったアパートは、所有者の女性が 第二次大戦前に南仏に移住したために 数十年も無人となっていました。 この女性が91歳で死去し、 6月に室内を整理していた際に発見されました。 絵画に描かれている女性は、所有者の女性の 祖母にあたる女優だということです。 ジョバンニ・ボルディーニ
ジョバンニ・ボルディーニは1842年 イタリアのフェラーラで生まれました。 父親のアントニオ・ボルディーニも画家で、 子供の頃から絵画に親しんでいたそうです。 16歳の頃にはすでに画家として自立しようと フィレンツェへ、そして1870年には ロンドンへ移住しました。 ロンドンで、肖像画家としての地位を確立し 「写実主義」の基盤を築いていきました。 1871年からは拠点をパリに移し、 当時の華やかなパリで彼の作品は高い評価を得ました。 パリではドガ、ロートレック、マネなどとも交流があり、 特にドガとは一緒に旅行へ行ったりと一番親交が 厚かったそうです。 ボルディーニはパリの社交界でも人気で 彼に肖像画を描いてもらいたいために上流階級の 紳士・淑女の注文が殺到したと言われています。 美しく優雅な当時の上流階級の人々、特に女性の 肖像画は、ドレスの高価な絹の質感、アクセサリー、 優美な顔立ち、しぐさまで丹念に描かれおり 絵を見るだけで良い香りまで漂ってきそうな気配 さえ感じられると言われています。 第一次大戦が勃発し、ボルディーニはニースへ移住。 終戦後はパリへ戻って画家活動を続けていましたが、 1931年、89歳で亡くなっています。
Googleが地図情報サービス「ストリートビュー」に 南極を追加しました。 南極のペンギンのお住まいを検索したい方は ちょっと楽しめそうです。 様々な発想が、現実になって行くのは すごい事ですね。 プライバシーの侵害だと反対する声が上がっていますが、 このサービスはしばらくは楽しめそうです。 南極の画像↓ http://maps.google.com/intl/ja/help/maps/streetview/gallery/#seven-continents-of-street-view&penguins-half-moon-island-antarctica
ドイツ財務省は3日、 第1次世界大戦(1914~18年)の 戦後処理を定めたベルサイユ条約などで 敗戦国のドイツに科された賠償金のうち、 最後まで残っていた国債利子分の 約7千万ユーロ(約80億円)の支払いを 完了しました。 大戦終結から92年後に ようやく払い終えたことになります。 第1大戦後の大不況を背景に誕生した ナチス政権が賠償金の支払いを拒否したことや、 53年の「ロンドン協定」で ドイツ統一まで支払いが猶予されたことから、 完済が遅れていたということです。 ベルサイユ条約により、敗戦国ドイツは 1320億金マルクという莫大な 賠償金を課せられました。 その額は、当時のドイツGNP20年分でした。 現在価格では、約40兆5000億円に相当したと 言われています。
べヴェルサイユ宮殿は、1682年、 フランス王ルイ14世が建てた フランスの宮殿です。 フランス絶対王政の象徴的建造物ともいわれ、 その豪華さと完成度で世界中の宮殿に模倣されました。 宮殿よりも噴水庭園のほうが建設にかかりました。 宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されています。 ベルサイユには近くに水を引く高地がないため、 ルイ14世は10km離れたセーヌ川の川岸に巨大な機械を設置し、 堤の上に水を上げさせました。 そして古代ローマに倣って水道橋を作って、 水をベルサイユまで運び、巨大な貯水槽に溜め込みました。 こうして水なき地で常に水を噴き上げる噴水庭園を完成させ、 自然をも変える力を周囲に示したのです。 ルイ14世は民衆の誰もがベルサイユに入るのを許し、 民衆に庭園の見方を教える「王の庭園鑑賞法」 というガイドブックを発行しました。 民衆は、ガイドブックに従って庭園を鑑賞することで、 貴族と自然を圧倒した王の偉大さを 刷り込まれていきました。 夏、ベルサイユでは毎晩のように祭典が催され、 訪れた民衆はバレエや舞劇に酔いしれたといいます。 ベルサイユ宮殿
イギリス文学史で最も画期的で、最も重要な本が、 オークションに出品されることになりました。 イギリスの詩人で劇作家、 ウィリアム・シェイクスピアの2つ折り本 「ファースト・フォリオ」初版本です。 「ファースト・フォリオ」は本の体裁のことで、 紙の裏表に計4ページ分の原稿を印刷し、 2つ折りにして閉じた本のことを指しています。 正しいタイトルは 「シェイクスピア氏の喜劇、史劇、そして悲劇」で、 シェークスピアの戯曲をまとめた最初の戯曲集 として知られています。 この作品は、シェイクスピアの死から7年後の 1623年に750部刊行されたものです。 シェイクスピアが単独か共同で書いたと考えられて いる戯曲39作品のうち、「マクベス」 「お気に召すまま」など36作品が収められています。 競売大手サザビーズなどによると、 750部のうち現存が確認されているのは 219部。そのうち個人所有は3部。 2006年にそのうちの1部がオークションに出され、 過去最高金額の320万ポンド (約4億4000万円)で落札されました。 今回オークションに出品される本は 3ページほど失われているものの、 落札額は100万ポンド(約1億3000万円)と 予測されています。 オークションは、12月7日にロンドンで 行われる予定です。
ウィリアム・シェイクスピア (1564年~1616年4月23日)は、 四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』 をはじめ、『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』 『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』など多くの 傑作を残しました。 『ヴィーナスとアドーニス』のような物語詩もあり、 特に『ソネット集』は今日でも最高の詩編の一つと 見なされています。 父ジョン・シェイクスピアはスニッターフィールド出身の 成功した皮手袋商人で、町長に選ばれたこともある 市会議員でした。 父はウィリアムの生まれたころには裕福であったが、 羊毛の闇市場に関わった咎で起訴され、 職を失ったと言われています。 シェイクスピアは18歳の時、 26歳の女性アン・ハサウェイと結婚しました。 翌年、1583年に長女スザンナが誕生し、 1585年には長男ハムネットと、次女ジュディスの双子が 生れています。 1592年ごろまでにシェイクスピアはロンドンへ進出し、 演劇の世界に身を置くようになっていました。 当時は、エリザベス朝演劇の興隆に伴って、 劇場や劇団が次々と設立されている最中でした。 その中で、シェイクスピアは俳優として活動するかたわら 次第に脚本を書くようになったそうです。 1594年の終わりごろ、シェイクスピアは 俳優兼劇作家であると同時に、 宮内大臣一座として知られる劇団の共同所有者とも なっており、同劇団の本拠地でもあった 劇場グローブ座の共同株主にもなっていました。 1603年にエリザベス1世が死去して ジェームズ1世が即位したさい、この新国王が 自ら庇護者となることを約束したため 国王一座へと改称することになるほど、 シェイクスピアの劇団の人気は高まっていました。 晩年シェイクスピアは、故郷ストラトフォードへ引退し、 1616年4月23日52歳で感染症の為亡くなっています。
ストラトフォード