ドイツ財務省は3日、 第1次世界大戦(1914~18年)の 戦後処理を定めたベルサイユ条約などで 敗戦国のドイツに科された賠償金のうち、 最後まで残っていた国債利子分の 約7千万ユーロ(約80億円)の支払いを 完了しました。 大戦終結から92年後に ようやく払い終えたことになります。 第1大戦後の大不況を背景に誕生した ナチス政権が賠償金の支払いを拒否したことや、 53年の「ロンドン協定」で ドイツ統一まで支払いが猶予されたことから、 完済が遅れていたということです。 ベルサイユ条約により、敗戦国ドイツは 1320億金マルクという莫大な 賠償金を課せられました。 その額は、当時のドイツGNP20年分でした。 現在価格では、約40兆5000億円に相当したと 言われています。
べヴェルサイユ宮殿は、1682年、 フランス王ルイ14世が建てた フランスの宮殿です。 フランス絶対王政の象徴的建造物ともいわれ、 その豪華さと完成度で世界中の宮殿に模倣されました。 宮殿よりも噴水庭園のほうが建設にかかりました。 宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されています。 ベルサイユには近くに水を引く高地がないため、 ルイ14世は10km離れたセーヌ川の川岸に巨大な機械を設置し、 堤の上に水を上げさせました。 そして古代ローマに倣って水道橋を作って、 水をベルサイユまで運び、巨大な貯水槽に溜め込みました。 こうして水なき地で常に水を噴き上げる噴水庭園を完成させ、 自然をも変える力を周囲に示したのです。 ルイ14世は民衆の誰もがベルサイユに入るのを許し、 民衆に庭園の見方を教える「王の庭園鑑賞法」 というガイドブックを発行しました。 民衆は、ガイドブックに従って庭園を鑑賞することで、 貴族と自然を圧倒した王の偉大さを 刷り込まれていきました。 夏、ベルサイユでは毎晩のように祭典が催され、 訪れた民衆はバレエや舞劇に酔いしれたといいます。 ベルサイユ宮殿