ショパンやドビュッシーも愛した 世界最古のピアノ製作会社「プレイエル(Pleyel)」。 このフランスの老舗がいま、デザイナーズ家具に 活路を見出そうとしています。 中国や韓国で製造された 価格が2000ユーロ(約22万円)程度のピアノが 世界シェアの8割を占めるようになり、 プレイエルのグランドピアノの年間生産台数は、 10年前の1700台からわずか25台に減りました。 とはいえ、同社には200年以上も受け継がれてきた 最高級の木象眼・木工技術のノウハウがあります。 パリにあるプレイエルの工場では、 熟練の15人のスタッフが20種類の仕事をこなしています。 高級家具職人、漆職人、ニス職人・・・ どれも楽器製造で培ったノウハウです。 これらの各分野の高い技術を、高級家具の製作 にと、生産を始めたと言う事です。 まさにピアノ業界の多角化と言えるかもしれません。
プレイエル・ピアノ
ピアノ製作会社「プレイエル商会」は、 イグナツ・プレイエルとピアノの名手であったその息子 カミーユ(1788年 - 1855年)によってに設立されました。 この会社はショパンに使用されたピアノを生産し、 また、ショパンがパリで最初に演奏会を(そして最後の演奏会も) 行ったコンサートホール「サル・プレイエル」も 経営していました。 イグナツ・プレイエルによって 1807年にPLEYELを冠した最初のピアノが製造され その後、経営権が引き継がれながらも 1866年の最盛期には年間3000台のピアノを 生産していました。 プレイエルの経営は、パリの他に、ブリュッセル、 ロンドン、シドニーに支店を持つまでに成長しました。 しかし、1929年のアメリカの株の大暴落を受け、 プレイエルのピアノ部門が1933年財産管理下に陥り、 翌年、プレイエルは破綻しました。 後にドイツに買収されました。 しかし、ドイツのシンメル社で生産された プレイエルピアノは、不出来だったために 不評を買いました。 世界大戦時に米軍の爆撃の被害で プレイエル社がストックしていた40年分の 木材が焼失してしまったこともあり、 現在、とても良い音色と言われるプレイエルの 優秀なものは戦前や20年から30年頃に製作されたもの であると言われています。 古いプレイエルピアノは甘くて優雅な音色、 弾くと吸い付くようなタッチだと評価されています。
また、リストが言ってた
「ショパンは銀色のように美しい、
いくらかベールがかっかたような音の響き......」
という表現がそのまま音になった感じであるとも言われています。
プレイエル・ピアノ1836によるショパン~ワルツ
(演奏:アルテュール・スホーンデルヴルト)
プレイエル・ピアノ1846 によるショパン~夜想曲
(演奏:アルテュール・スホーンデルヴルト) ★☆ちょっと一言 ☆★ 良い技術を、伝承して、後進を育てていく事は 大切な事ですね。 フランス製のピアノが衰退して来た原因の一つに 後継者を育てるという意識が少ないという国民性の 問題があると言われています。
はたして、日本人の国民性はどうでしょうか?