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このページは、店長が2010年12月14日 19:48に書いたブログ記事です。

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プレイエル ピアノ

2010年12月14日 19:48 | 店長 | カテゴリ:芸術
 ショパンやドビュッシーも愛した
 世界最古のピアノ製作会社「プレイエル(Pleyel)」。
 このフランスの老舗がいま、デザイナーズ家具に
 活路を見出そうとしています。

 中国や韓国で製造された
 価格が2000ユーロ(約22万円)程度のピアノが
 世界シェアの8割を占めるようになり、
 プレイエルのグランドピアノの年間生産台数は、
 10年前の1700台からわずか25台に減りました。

 とはいえ、同社には200年以上も受け継がれてきた
 最高級の木象眼・木工技術のノウハウがあります。

 パリにあるプレイエルの工場では、
 熟練の15人のスタッフが20種類の仕事をこなしています。
 高級家具職人、漆職人、ニス職人・・・
 どれも楽器製造で培ったノウハウです。

 これらの各分野の高い技術を、高級家具の製作
 にと、生産を始めたと言う事です。
 
 まさにピアノ業界の多角化と言えるかもしれません。
 
 
  プレイエル・ピアノ
  

 ピアノ製作会社「プレイエル商会」は、
 イグナツ・プレイエルとピアノの名手であったその息子
 カミーユ(1788年 - 1855年)によってに設立されました。

 この会社はショパンに使用されたピアノを生産し、
 また、ショパンがパリで最初に演奏会を(そして最後の演奏会も)
 行ったコンサートホール「サル・プレイエル」も
 経営していました。

 
 イグナツ・プレイエルによって
 1807年にPLEYELを冠した最初のピアノが製造され
 その後、経営権が引き継がれながらも
 1866年の最盛期には年間3000台のピアノを
 生産していました。
 
 プレイエルの経営は、パリの他に、ブリュッセル、
 ロンドン、シドニーに支店を持つまでに成長しました。

 しかし、1929年のアメリカの株の大暴落を受け、
 プレイエルのピアノ部門が1933年財産管理下に陥り、
 翌年、プレイエルは破綻しました。

 後にドイツに買収されました。

 しかし、ドイツのシンメル社で生産された
 プレイエルピアノは、不出来だったために
 不評を買いました。 

 世界大戦時に米軍の爆撃の被害で
 プレイエル社がストックしていた40年分の
 木材が焼失してしまったこともあり、
 現在、とても良い音色と言われるプレイエルの
 優秀なものは戦前や20年から30年頃に製作されたもの
 であると言われています。

 古いプレイエルピアノは甘くて優雅な音色、
 弾くと吸い付くようなタッチだと評価されています。
 また、リストが言ってた
「ショパンは銀色のように美しい、
 いくらかベールがかっかたような音の響き......」
 という表現がそのまま音になった感じであるとも言われています。

 
 プレイエル・ピアノ1836によるショパン~ワルツ
 (演奏:アルテュール・スホーンデルヴルト)
 

 
  プレイエル・ピアノ1846 によるショパン~夜想曲
 (演奏:アルテュール・スホーンデルヴルト)     ★☆ちょっと一言 ☆★   良い技術を、伝承して、後進を育てていく事は  大切な事ですね。  フランス製のピアノが衰退して来た原因の一つに  後継者を育てるという意識が少ないという国民性の  問題があると言われています。
 はたして、日本人の国民性はどうでしょうか?
 
 

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