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このページは、店長が2010年12月17日 13:34に書いたブログ記事です。

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フランス国王アンリ4世

2010年12月17日 13:34 | 店長 | カテゴリ:歴史
 フランスの研究者チームは
 仏国王アンリ4世(Henri IV)
 (英語ではヘンリー、フランス語ではアンリと読む)
 のものとみられていた人間の頭部を
 「本物」と断定しました。

 防腐処理を施されたアンリ4世の頭部は
 1793年にパリ郊外の教会から盗まれ、
 その後は収集家の手を転々としていたということです。

 今回は残されている国王の肖像画を参考に
 最新の法医学を使い、「アンリ4世の頭部」
 との結論を出しました。

 
 アンリ4世(1553-1610年)は
 賢明で有能な君主だったと言われています。
 反対派貴族を武力で弾圧するのではなく、
 懐柔することに努め、そのためには賠償金の支払いさえ
 辞さなかったそうです。

 さらに国民の生活状態を配慮する姿勢が評価されて
 絶大な人気を誇り、「良王アンリ」と呼ばれるように
 なりました。

 内戦で疲弊したフランスを立て直すために、
 国家経済の再建、農業の促進、開墾地の拡大、
 公共事業の活発化、教育機関の拡充、街道の整備、
 森林の保護、橋や運河の整備などを推し進めました。

 また、あらゆる芸術家工芸家を招いて
 ルーブル宮殿に住まわせ、創作活動を行わせました。

 アンリ4世は、幼少期から何度も
 カトリックとプロテスタントの宗教戦争にまき込まれ、
 度々改宗を余儀なくされました。

 また、フランス王アンリ3世の妹マルグリットとの結婚は、
 カトリックとプロテスタントとの融和のための結婚でした。
 そのため、子供もなく、長きにわたって別居状態で、
 結婚無効とされ、1600年にアンリ4世は
 メディチ家のマリー・ド・メディシスと再婚しました。

 2人の間には6人の子が生まれていますが、
 政略結婚である2人の仲は決して円満ではなく、
 多情なアンリ4世の愛人の数は56人以上に及んだ
 とする説もあります。

 アンリ4世はたびたび暗殺の危機にさらされ、
 1610年5月14日、馬車に乗ろうとした際に
 刺し殺されたと言われています。

  
 アンリ4世
 

 
 ★☆ちょっと一言 ☆★ 

 国家のトップになる人の資質が
 どの国でも問われている昨今です。
 
 国家のトップは、アンリ4世のように、
 「良い王である」と認められるまでは行かなくとも、
 「悪い」と言われない人であって欲しいと思います。

 けれど、現実はなかなかそうは行かないものですね。

 国のトップが信用されなければ当然の事として、
 国民も信用を失うという事になるのではないでしょうか。

 ひょうたん水は、
 ひょうたん水の母神河照美を筆頭に
 従業員一同、皆様の美と健康と幸せの為に
 信用第一で取り組んでいます。


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