フランスの研究者チームは 仏国王アンリ4世(Henri IV) (英語ではヘンリー、フランス語ではアンリと読む) のものとみられていた人間の頭部を 「本物」と断定しました。 防腐処理を施されたアンリ4世の頭部は 1793年にパリ郊外の教会から盗まれ、 その後は収集家の手を転々としていたということです。 今回は残されている国王の肖像画を参考に 最新の法医学を使い、「アンリ4世の頭部」 との結論を出しました。
アンリ4世(1553-1610年)は 賢明で有能な君主だったと言われています。 反対派貴族を武力で弾圧するのではなく、 懐柔することに努め、そのためには賠償金の支払いさえ 辞さなかったそうです。 さらに国民の生活状態を配慮する姿勢が評価されて 絶大な人気を誇り、「良王アンリ」と呼ばれるように なりました。 内戦で疲弊したフランスを立て直すために、 国家経済の再建、農業の促進、開墾地の拡大、 公共事業の活発化、教育機関の拡充、街道の整備、 森林の保護、橋や運河の整備などを推し進めました。 また、あらゆる芸術家工芸家を招いて ルーブル宮殿に住まわせ、創作活動を行わせました。 アンリ4世は、幼少期から何度も カトリックとプロテスタントの宗教戦争にまき込まれ、 度々改宗を余儀なくされました。 また、フランス王アンリ3世の妹マルグリットとの結婚は、 カトリックとプロテスタントとの融和のための結婚でした。 そのため、子供もなく、長きにわたって別居状態で、 結婚無効とされ、1600年にアンリ4世は メディチ家のマリー・ド・メディシスと再婚しました。 2人の間には6人の子が生まれていますが、 政略結婚である2人の仲は決して円満ではなく、 多情なアンリ4世の愛人の数は56人以上に及んだ とする説もあります。 アンリ4世はたびたび暗殺の危機にさらされ、 1610年5月14日、馬車に乗ろうとした際に 刺し殺されたと言われています。 アンリ4世 ★☆ちょっと一言 ☆★ 国家のトップになる人の資質が どの国でも問われている昨今です。 国家のトップは、アンリ4世のように、 「良い王である」と認められるまでは行かなくとも、 「悪い」と言われない人であって欲しいと思います。 けれど、現実はなかなかそうは行かないものですね。 国のトップが信用されなければ当然の事として、 国民も信用を失うという事になるのではないでしょうか。 ひょうたん水は、 ひょうたん水の母神河照美を筆頭に 従業員一同、皆様の美と健康と幸せの為に 信用第一で取り組んでいます。