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このページは、店長が2012年1月17日 15:41に書いたブログ記事です。

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王家の谷

2012年1月17日 15:41 | 店長 | カテゴリ:世界の出来事カテゴリ:歴史
 エジプト・ルクソール近郊カルナックの「王家の谷」で、
 約3000年前の女性歌手の墓が発見されました。

 
 墓の中から見つかった木製の飾り額によれば、
 墓は古代エジプト第22王朝時代、
 太陽神アモン・ラーに歌をささげる歌手だった
 ネフメト・バステトのもので、
 彼女は太陽神をまつる高位神官の娘だったそうです。

 今回の発見は第22王朝時代、
 王家の谷に一般の個人や神官らも埋葬されていたことを
 示しており、非常に重要だということです。

 これまで王家の谷で発見された墓は
 王家にゆかりの人物のものだけだったということです。


 王家の谷
 
  
 
 ナイル河から西約4km、ネクロポリスの奥に位置する谷に、
 新王国時代の王たちが眠る「王家の谷」があります。
 
 この谷は、東西に分かれていて、東の谷に58基、
 西の谷に4基の墓が確認されています。

 1922年に発見されたツタンカーメン王墓が
 62基めでした。

 テーベ西岸にはじめて岩窟墓を建設したのは
 トトメス一世で、ピラミッド形の墓が
 ことごとく盗掘されているのを見て、
 自分の墓の存在を知られないように工夫したのが
 最初だそうです。

 
 「エジプトはナイルの賜物」という
 古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、
 エジプトは豊かなナイル川のデルタに支えられて
 古代エジプト文明を発展させてきました。

 エジプト人は紀元前3000年頃には、
 早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、
 ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている
 高度な文明を発達させました。

 3000年にわたる諸王朝の盛衰の末、
 紀元前525年にペルシアに支配され、
 紀元前332年にはアレクサンドロス大王に
 征服されました。

 その後ギリシア系のプトレマイオス朝が成立し、
 ヘレニズム文化の中心のひとつとして栄えましたが
 クレオパトラ7世が死亡した紀元前30年に滅ぼされ、
 エジプトはローマ帝国の属州となりました。

 ローマ帝国の統治下ではキリスト教が
 広まりましたが、後にイスラム王朝が
 500年以上に渡って続きました。

 1798年、フランスのナポレオンによる
 エジプト遠征を契機として、
 エジプトは近代国家形成の時代へと突入して
 いきました。
 

 クレオパトラ
      


 

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