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このページは、店長が2010年8月 6日 21:49に書いたブログ記事です。

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ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世

2010年8月 6日 21:49 | 店長 | カテゴリ:歴史
 ドイツの首都ベルリンの名所、
 カイザー・ヴィルヘルム記念教会
 の修復工事が、8月末から始まるそうです。

 同教会は、第二次世界大戦時に
 爆撃により大きな被害を受け、
 現在、戦争を記念するプロテスタント教会として
 保存されています。

 カイザー・ヴィルヘルム記念教会  
 
 


 カイザー・ヴィルヘルム記念教会は、
 1888年に死去したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を追悼して、
 1891年の彼の誕生日3月22日に起工し
 1895年9月1日に落成しました。

 尖塔の高さは113m、
 聖堂内部の、中央の細長い広間の部分(身廊)には
 2000人以上の座席があったと言われています。

 当初の教会はロマネスク様式でしたが、
 1943年11月23日のベルリン大空襲で破壊され、
 最低限の修復を施した上で崩れたままの姿で
 保存されてきました。

 
 ヴィルヘルム1世は、軍人として、また外交官として
 活躍していましたが、病床にある兄王に代わって
 政務を執るようになりました。
 
 1861年兄王が死去した後、ヴィルヘルム1世は63歳で
 ケーニヒスベルクで自ら戴冠しました。
 
 議会の状況悪化で、王は即位早々危機に陥りましたが、
 窮状を打開するため、パリ駐在大使ビスマルクを召還し、
 彼の主張する鉄血政策を実行させました。

 その政策が広範な支持を得ることに成功し、
 ドイツ統一に向かう流れとなりました。

 新しいドイツ帝国の皇帝という役目に気が進まなかった
 ヴィルヘルム1世でしたが、
 ビスマルクのほかに王太子フリードリヒの説得もあって、
 1871年1月18日にヴェルサイユ宮殿鏡の間で
 ドイツ皇帝として戴冠しました。

 ドイツ統一を成し遂げたヴィルヘルム1世の人気は
 不動のものとなり、民族的英雄バルバロッサ(赤髭王)
 になぞらえて「バルバブランツァ」(白髭王)と
 呼ばれるほどでした。

 

 ヴィルヘルム1世

 1873年7月9日、現在の沖縄県宮古島沖に、
 ドイツ商船が台風のため座礁しました。

 島の役人と島民は、一晩中たいまつの灯で
 乗組員を勇気づけ、荒れ狂う海に小舟を出して
 乗組員8人を救助しました。

 その後も1ヵ月あまり手厚く看護し、
 無事本国ドイツへ送り返したのだそうです。

 このことに感激した皇帝ウィルヘルム1世は
 1876年、村民の博愛精神を讃えるために
 軍艦を宮古島に派遣し、「博愛記念碑」を
 建立しました。
 
 宮古島には、この史実を今日に伝えるために
 うえのドイツ文化村というテーマパークが
 つくられ、ドイツの古城を模した建物などがあります。
 


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