ブラジルの首都ブラジリアで 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の 世界遺産委員会が開かれています。 その委員会で1日、 ベトナムの「タンロン」を 世界遺産に登録することを決めました。 「タンロン」は、ベトナムの首都ハノイで 7~19世紀に歴代の王城があった 同国史上最大の遺跡です。 遺跡には唐の支配の後、ベトナムの独立を経て、 最後の王朝が中部フエに都を移すまで 王城などが置かれていました。 タンロン
タンロン遺跡(バーディン遺跡)は、 当初、バーディン広場の辺りで出土したので、 バーディン遺跡と呼ばれていました。 現在は、李王朝の太祖が1010年に都を築いた際の 名称である昇龍(タンロン)からとって、 タンロン遺跡と呼ばれています。 8 世紀頃、唐が安南都護府を置いていた頃は、 羅城(ラタイン)と呼ばれていたらしく、 阿倍仲麻呂が赴任していたのはこの頃のことだとか。 このタンロンの敷地の中心部には、 かつて皇帝たちが居を構えた「敬天殿」の跡地が あります。 そこに、フランス人が植民地時代に建てた 2階建ての家屋があります。 フランス軍の本拠地とされたものですが、 ベトナムが戦いに勝利した後はベトナム軍の 所有物となり、軍の本部として使われました。 「龍の家」と呼ばれたこの建物には、 深さ約9メートルの地下に、秘密の会議室があり、 ハノイで唯一原爆にも耐えうる場所だといわれる ソ連製の重厚な巨大扉をもつ地下壕となっています。 また地下室からは地下道が掘られ、遠く17キロ先の ハドンの街まで繋がっているのだそうです。 ベトナム中部のホイアンに古い建築が残っていて、 1999年に「ホイアンの古い町並み」として ユネスコの世界遺産に登録されています。 その主な建築物に、来遠橋(日本橋)という 中国風の屋根付橋があります。 1593年に日本人が建設したと伝えられていますが、 江戸時代約30年間にわたる朱印船貿易で、 ホイアンには大規模な日本人街が形成されていたそうです。 江戸幕府の鎖国により日本人の往来が途絶えましたが、 街並みは残され、ベトナム戦争時代に破壊されることもなく、 現在に至るまで当時の繁栄ぶりを今に伝えています。 ホイアン ★☆ちょっと一言 ☆★ 海外旅行を経験された方で 胃腸を気にされる方は結構いらっしゃるのでは ないでしょうか? 水が合わなかったり、香辛料などになじめなかったり 飲食物で体調を崩す事があるかも知れません。 そんな時の用心の為にも ひょうたん水を飲みものや食べ物に入れて 飲食される事をお勧め致します。 ひょうたん水を忘れずに 旅行のお供にお持ち下さいませ。