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このページは、店長が2010年8月 3日 15:55に書いたブログ記事です。

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タンロン遺跡

2010年8月 3日 15:55 | 店長 | カテゴリ:歴史
 ブラジルの首都ブラジリアで
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
 世界遺産委員会が開かれています。

 その委員会で1日、
 ベトナムの「タンロン」を
 世界遺産に登録することを決めました。

 「タンロン」は、ベトナムの首都ハノイで
 7~19世紀に歴代の王城があった
 同国史上最大の遺跡です。
 

 遺跡には唐の支配の後、ベトナムの独立を経て、
 最後の王朝が中部フエに都を移すまで
 王城などが置かれていました。

 
 
 タンロン
 

 
 タンロン遺跡(バーディン遺跡)は、
 当初、バーディン広場の辺りで出土したので、
 バーディン遺跡と呼ばれていました。

 現在は、李王朝の太祖が1010年に都を築いた際の
 名称である昇龍(タンロン)からとって、
 タンロン遺跡と呼ばれています。

 8 世紀頃、唐が安南都護府を置いていた頃は、
 羅城(ラタイン)と呼ばれていたらしく、
 阿倍仲麻呂が赴任していたのはこの頃のことだとか。

 このタンロンの敷地の中心部には、
 かつて皇帝たちが居を構えた「敬天殿」の跡地が
 あります。

 そこに、フランス人が植民地時代に建てた
 2階建ての家屋があります。
 フランス軍の本拠地とされたものですが、
 ベトナムが戦いに勝利した後はベトナム軍の
 所有物となり、軍の本部として使われました。

 「龍の家」と呼ばれたこの建物には、
 深さ約9メートルの地下に、秘密の会議室があり、
 ハノイで唯一原爆にも耐えうる場所だといわれる
 ソ連製の重厚な巨大扉をもつ地下壕となっています。


 また地下室からは地下道が掘られ、遠く17キロ先の
 ハドンの街まで繋がっているのだそうです。


 
 ベトナム中部のホイアンに古い建築が残っていて、
 1999年に「ホイアンの古い町並み」として
 ユネスコの世界遺産に登録されています。

 その主な建築物に、来遠橋(日本橋)という
 中国風の屋根付橋があります。
 1593年に日本人が建設したと伝えられていますが、

 江戸時代約30年間にわたる朱印船貿易で、
 ホイアンには大規模な日本人街が形成されていたそうです。

 江戸幕府の鎖国により日本人の往来が途絶えましたが、
 街並みは残され、ベトナム戦争時代に破壊されることもなく、
 現在に至るまで当時の繁栄ぶりを今に伝えています。
 
 ホイアン
 


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 胃腸を気にされる方は結構いらっしゃるのでは
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 水が合わなかったり、香辛料などになじめなかったり
 飲食物で体調を崩す事があるかも知れません。

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 ひょうたん水を飲みものや食べ物に入れて
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 ひょうたん水を忘れずに
 旅行のお供にお持ち下さいませ。


 

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