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このページは、店長が2010年8月20日 22:49に書いたブログ記事です。

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孔子

2010年8月20日 22:49 | 店長 | カテゴリ:歴史
 中国で、コンピューターで使えない
 珍しい漢字の姓を持つ一族の約200人が、
 別の漢字を使った姓に改姓したそうです。

 山東省の一部の地域にある「シャン」
 という姓の漢字(文字の上部が彡、下部が且)
 は非常に珍しく、運転免許証や銀行通帳に
 正しい姓名を印刷することができませんでした。

 このような煩わしさを解決するため、
 シャン一族は発音が同じ別の2種類の漢字を、
 姓として使うことにしたそうです。

 祖先から引き継がれてきた姓を失うことに
 一族の年配者たちは心を痛めているのだとか。

 電子化の影響は、受け継がれてきたものを
 失う事にもなるのですね。

 
 
 山東省青島
 

 
  

 中国の北に位置していて、海と山の両方がある
 山東省は、歴史的な場所も多くあります。

 特に、有名な孔子のゆかりの地が多くあります。
 
 孔子(紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)は、
 春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖です。

 現在の山東省曲阜(きょくふ)市で生まれたとされています。  

 孔子は幼くして両親を失い、孤児として育ちながらも
 苦学して礼学を修めたとされますが、
 どのようにして礼学を学んだのかは一切分かっていません。

 そのためか、知識にあやふやな面も見せていたそうです。

 また、老子に師事して教えを受けたという説もありますが、
 これは孔子の礼学に正当性を与えたい後の儒家と、
 孔子の名声を利用したい道家の思惑が一致したことによる
 捏造である可能性が指摘されています。

 20歳を過ぎた孔子は、委吏(きし:倉庫出納係)、
 司職(ししょく:家畜係)といった
 魯の国の下級役人になりました。

 魯の定公が位についてからは、次第に昇進を重ね、
 中都(ちゅうと)の宰を経て
 大司寇(だいしこう:司法の長官)に累進し
 国の政治に携わるようになりました。

 55歳のときには宰相の代行を任されるようになりましたが、
 魯の権力者をおさえようとして失敗し、
 やむなく職を退いて魯から去ったと言われています。

 孔子は、弟子らと14年間にわたって諸国を周遊し
 徳治を説きましたが、結局のところ、
 諸侯に受け入れられることはありませんでした。

 69歳で魯に帰国した孔子は、「道」を後世に伝える
 ことを願って弟子の教育に専念し、74歳で没しました。


 論語講座
 


 ★☆ちょっと一言 ☆★ 

 一時期、ワープロが流行り、
 しばらくして、手書きが良いと、
 書道やペン字が見直されました。

 漢字も、いくつかの当用漢字が復活するなど、
 元々あったものが見直される事は良くある事です。

 日本の伝統芸能も、
 もっと見直されるべきだと思います。

 ひょうたん水は、日本で
 古来から体に良いと食されたり
 煎じて飲まれてきたものが材料です。

 ハイテク技術で造られたサプリメントとは違います。

 ローテクといえるかも知れませんが、
 赤ちゃんからご年配の方々まで
 多くの喜びの結果のお声を頂いております。

 先人の方々の智恵が、ギュッと詰まっている
 ひょうたん水なのです。                                                                   

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