中国で、コンピューターで使えない 珍しい漢字の姓を持つ一族の約200人が、 別の漢字を使った姓に改姓したそうです。 山東省の一部の地域にある「シャン」 という姓の漢字(文字の上部が彡、下部が且) は非常に珍しく、運転免許証や銀行通帳に 正しい姓名を印刷することができませんでした。 このような煩わしさを解決するため、 シャン一族は発音が同じ別の2種類の漢字を、 姓として使うことにしたそうです。 祖先から引き継がれてきた姓を失うことに 一族の年配者たちは心を痛めているのだとか。 電子化の影響は、受け継がれてきたものを 失う事にもなるのですね。 山東省青島
中国の北に位置していて、海と山の両方がある 山東省は、歴史的な場所も多くあります。 特に、有名な孔子のゆかりの地が多くあります。 孔子(紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)は、 春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖です。 現在の山東省曲阜(きょくふ)市で生まれたとされています。 孔子は幼くして両親を失い、孤児として育ちながらも 苦学して礼学を修めたとされますが、 どのようにして礼学を学んだのかは一切分かっていません。 そのためか、知識にあやふやな面も見せていたそうです。 また、老子に師事して教えを受けたという説もありますが、 これは孔子の礼学に正当性を与えたい後の儒家と、 孔子の名声を利用したい道家の思惑が一致したことによる 捏造である可能性が指摘されています。 20歳を過ぎた孔子は、委吏(きし:倉庫出納係)、 司職(ししょく:家畜係)といった 魯の国の下級役人になりました。 魯の定公が位についてからは、次第に昇進を重ね、 中都(ちゅうと)の宰を経て 大司寇(だいしこう:司法の長官)に累進し 国の政治に携わるようになりました。 55歳のときには宰相の代行を任されるようになりましたが、 魯の権力者をおさえようとして失敗し、 やむなく職を退いて魯から去ったと言われています。 孔子は、弟子らと14年間にわたって諸国を周遊し 徳治を説きましたが、結局のところ、 諸侯に受け入れられることはありませんでした。 69歳で魯に帰国した孔子は、「道」を後世に伝える ことを願って弟子の教育に専念し、74歳で没しました。 論語講座 ★☆ちょっと一言 ☆★ 一時期、ワープロが流行り、 しばらくして、手書きが良いと、 書道やペン字が見直されました。 漢字も、いくつかの当用漢字が復活するなど、 元々あったものが見直される事は良くある事です。 日本の伝統芸能も、 もっと見直されるべきだと思います。 ひょうたん水は、日本で 古来から体に良いと食されたり 煎じて飲まれてきたものが材料です。 ハイテク技術で造られたサプリメントとは違います。 ローテクといえるかも知れませんが、 赤ちゃんからご年配の方々まで 多くの喜びの結果のお声を頂いております。 先人の方々の智恵が、ギュッと詰まっている ひょうたん水なのです。