パリで11月1日、生後18か月の男の子が マンション8階から誤って落ち、 1階のカフェの日よけでバウンドして 通行人にキャッチされ、一命をとりとめる という事件が起きました。 地元の男性医師の息子が、バルコニーの柵に よじ登っている男の子を発見しました。 男性医師は、男の子が落下した時、 落下地点を見定め、キャッチしました。 その瞬間、男の子はちょっとだけ泣きましたが、 すぐに落ち着きを取り戻したと言う事です。 1階のカフェは、事件があった当日は休業日で、 通常は、日よけをたたんでいました。 けれども、その日は装置がなぜか故障していて、 たたむ事ができなかったのだそうです。 店員は「奇跡です」と話しているそうです。 事件を捜査した警察は、 男の子を幼少の姉とともにマンションの部屋に 置き去りにしたとして、両親の身柄を拘束した という事です。
パリの語源はパリシイ(パリースィイ) 「田舎者、乱暴者」と言う意味だそうです。 ローマ人が入ってくる以前からの先住民である ケルト系部族の、ローマ側からの呼称です。 セーヌ川の中洲シテ島は 古くからセーヌ川の渡河点であり、 紀元前3世紀ごろからパリシイ族の集落 「ルテティア」がありました。 紀元前1世紀、ガリア戦争の結果、 ルテティアはローマ支配下に入りました。 ローマ時代のルテティアは、 シテ島からセーヌ左岸にかけて広がっており、 円形劇場(闘技場)や公衆浴場などが築かれました。 しかしローマが衰退すると左岸の市街地は放棄され、 シテ島のみを範囲とする城塞都市になりました。 このころからルテティアに代わり「パリ」と 呼ばれるようになったそうです。 シテ島には、ユネスコの世界遺産に登録された 「ノートルダム大聖堂」があります。 ノートルダムとはフランス語で 「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指します。 1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、 現在にみられる建築物が着工され、 1225年に完成しました。 その後も工事が続けられ、 最終的な竣工は1345年だったそうです。 ノートルダム大聖堂 ★☆ちょっと一言 ☆★ 古くて良いもの。 色々ありますね。 ひょうたん水は、およそ15年間 お陰様で、多くの方にお使い頂いて来ました。 ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんも 使っていたのだよと、 代々受け継がれるひょうたん水にしたいと、 願っております。