ベルギーの漫作、
漫画「タンタン アメリカへ」の
1932年に制作された貴重な表紙絵が2日、
パリで競売にかけられ、
コミック表紙の原画としては最高額の
133万8509.2ユーロ(約1億3000万円)で
落札されました。
落札された原画は、1934年発表の
「タンタン アメリカへ」初版本を飾った表紙絵で、
3人のネーティブ・アメリカンが
石に腰掛けるカウボーイ姿のタンタンと
横に座るイヌのスノーウィの背後から、
おのを手に忍び寄る様子を
墨と水彩絵の具で描いたものです。
エルジェによる同様の表紙は5点しか
現存していないそうです。
タンタン アメリカへ
ベルギーの漫画家エルジェの本名は、
ジョルジュ・プロスペル・レミといい、
エテルベークの中流家庭に生まれました。
エルジェにはポールという弟がいて、
第二次大戦後ベルギー占領軍の司令官を
務めたこともある職業軍人です。
『タンタンの冒険旅行』シリーズにおいて、
主人公であるタンタン、そしてスポンツ大佐の風貌は
彼がモデルとなっているとされています。
中学生のときに、学校のボーイスカウト雑誌で
イラストを描き始め、その後1923年より
『ベルギーのボーイスカウト』誌に描くようになりました。
エルジェのペンネームを使用しだしたのは
この翌年からです。
1929年、『20世紀子ども新聞』で
タンタンとスノーウィの物語が生まれました。
この物語はエルジェの名を一躍知らしめましたが、
第二次大戦中、『20世紀子ども新聞』から
ベルギーの新聞『ル・ソワール』に掲載紙を変え
た事が原因で終戦後一時職を失いました。
その後、1946年に週刊誌『タンタン』が創刊され、
連載を再開する事となりましたが、
執筆の過労による神経衰弱が原因で
度々連載が中断される事がありました。
1950年にスタジオ・エルジェが設立され、
以後スタッフの協力を得てタンタンの連載を
続けていくこととなりました。
晩年エルジェはモダンアートに情熱を傾け
ました。
1983年3月3日、白血病により75歳で死去しました。
エルジェ
★☆ちょっと一言 ☆★
昨年末、「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」
が映画で上映されました。
3D映像ですが、いったいどのようにして
作られているのかと不思議に思います。
様々な分野でいろいろなノウハウが
ありますね。
ひょうたん水は、
「どうして防腐剤を入れていないのに
封を開けて常温で置いておいても
何年も腐らないの?」
とか、
ひょうたんしゃんぷぅは、
「石鹸シャンプーなのに、どうしてリンスをしないで
洗い上がりがサラサラなの?」
と、お問い合わせ頂く事があります。
一切化学添加物は入れていません。
材料の調合の割合や、製造方法のノウハウが
あるからです。
ですから、
「ひょうたん水」と「ひょうたんしゃんぷぅ」は
オフィス神河のオリジナル商品であるだけでなく
他社には真似の出来ない商品なのです。