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このページは、店長が2010年4月27日 22:41に書いたブログ記事です。

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忠犬ハチ公

2010年4月27日 22:41 | 店長 | カテゴリ:映画
 アメリカ・アラスカ州で、
 自宅の火事を警察に知らせたお手柄の犬が
 州警察から表彰されました。

 ジャーマン・シェパードの「バディ」君(5歳)は、
 飼い主の男性が営む店舗を兼ねた家の出火直後、
 飼い主が言った「助けが必要なんだ!」という一言で
 走りだし、警察を誘導してきたということです。 


 緊急車両が、山道を走っているときに
 このバディー君が現れ、その緊急車両を
 誘導するように道案内をしました。

 実際にその様子が、
 ダッシュボードに設置されていた
 カメラでハッキリと撮影されています。



 緊急車両の隊員の話では
 この時、車のGPSが正常に動いておらず、
 バディー君の誘導のおかげで助かった
 と言うことです。

 緊急車両の到着後、消防車も駆けつけて火は消し止められ、
 飼い主は手などの軽いやけどで済んだということです。
 
 
 忠義犬と言えば、「忠犬ハチ公」
 と言うぐらい知られていますね。

 ハチは、1924年から東京帝国大学農学部の教授、
 上野英三郎氏に飼われていた秋田犬です。

 ハチは1924年1月14日、米俵に入れられ、
 急行列車の荷物車に載せられて秋田県の大館駅から
 上野駅まで運ばれました。

 上野宅では「ジョン」と「エス(S)」という
 二頭の犬たちと共に飼われました。

 1925年5月21日、上野英三郎が大学で急死。
 いくら待っても帰って来ない主人のことを憂ってか、
 ハチは3日間何も食べなかったそうです。 

 上野氏が死んだことが解らないハチは、ジョンとSと一緒に
 上野氏を渋谷駅まで迎えに行ったと言うことです。 

 その後、あちこちに預けられたハチは、
 上野家出入りの植木職人、小林菊三郎氏に
 飼われるようになりました。 
  
 1932年上野氏を迎えに来るハチのことを知っていた
 日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉氏が、
 渋谷駅で邪険に扱われているハチを哀れみ、
 ハチのことを東京朝日新聞に寄稿しました。

 これが「いとしや老犬物語」として新聞に載り、
 有名になったハチは渋谷駅の人々から
 かわいがられるようになり、これ以降、
 ハチ公と呼ばれるようになったそうです。 
 
 1935年(昭和10年)3月8日、渋谷川に架かる
 稲荷橋付近の路地で死亡しました。

 1937年、尋常小学校2年生の修身の授業の教科書に
 「恩ヲ忘レルナ」というハチの話が載りました。

 「恩を忘れない」と言う心を、
 ハチが現代の人たちに思い出させてくれるようですね。

 卒業式のシーズンには、「先生への恩」
 と言うことに対しての今の子供たちの意識が
 問われていました。
 
 「恩を忘れない」と言う心があれば、
 もっと、良い人間関係が築かれるのでは・・・
 と、毎日の暗いニュースを見るにつけ思います。
 


 ハチ公物語

 



 HACHIKO

 

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