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このページは、店長が2010年7月 6日 12:39に書いたブログ記事です。

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マラドーナ

2010年7月 6日 12:39 | 店長 | カテゴリ:スポーツ
 ブラジルサッカー連盟は、7月2日に行われた
 2010年サッカーW杯南アフリカ大会
 準々決勝オランダ戦に敗れたブラジルの
 ドゥンガ監督ほかコーチ陣全員の解任を発表しました。

 リオデジャネイロに到着した代表選手たちは、
 待ちかまえていたファンたちに罵声を浴びせられ、
 もみくちゃにされました。

 怒りの矛先はドゥンガ監督のほか、
 オウンゴールを献上し、相手選手を踏みつけて
 退場処分となったフェリペ・メロ選手に
 向けられたそうです。
 

 方や、同大会準々決勝でドイツに4-0と大敗を喫した
 アルゼンチン代表チームとディエゴ・マラドーナ監督は
 帰国の際、数千人のファンの温かい歓迎を受けたそうです。

 水色と白の代表ユニホームの色に身を包んだファンたちは、
 「アルゼンチン」「ディエゴ」などと書かれた
 横断幕を掲げ、チームを出迎えました。

 集まった人々からは、マラドーナ監督の続投を求める声が
 多く聞かれたと言うことです。


  
 
 ディエゴ・マラドーナは、
 1960年10月30日にブエノスアイレスの
 貧しい家庭の子として生まれました。

 幼少の頃から天才サッカー少年として脚光を浴び、
 16歳でアルゼンチン代表に選ばれました。

 1979年、日本で開催された第2回ワールドユースでは、
 大活躍でアルゼンチンを優勝に導きました。

 1982年にはスペインのFCバルセロナに600万ドルで
 移籍するなど絶頂期にありましたが、
 入団早々に肝炎を患い、
 翌年、相手選手の悪質なタックルで
 左足首と靭帯に重傷を負ました。

 1984年イタリアのSSCナポリに移籍し、
 在籍期間中にクラブをセリエAのリーグ優勝を2度と
 UEFAカップ(クラブチームによるサッカーの国際大会)
 制覇に導き、「ナポリの王」と呼ばれました。

 しかし、1990年のワールドカップ・イタリア大会の
 準決勝でイタリアと地元ナポリで対戦した時、
 アルゼンチンが勝利した事から、
 イタリア国民との関係が悪化し、
 1992年、スペインのセビージャFCに移籍しました。

 その後、1994年のワールドカップ・アメリカ大会で
 ドーピング違反による大会からの追放。
 薬物乱用や素行の悪さが世間を騒がせた事もあり
 1997年37歳で現役を引退しました。

 引退後は薬物依存や不摂生による体重増加などが
 原因で入院・手術などを繰り返しました。

 2003年、極度の肥満と薬物の影響から一時危篤状態と
 なりましたが、一命をとりとめ、
 胃の切除手術を行うことで、肥満も解消しました。

 私生活ではいろいろと問題があったマラドーナですが
 地元にはマラドーナ教という宗教まである
 といわれているように、アルゼンチンにとっては
 とても大きな存在なのですね。

 
 若き日のマラドーナ
 


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