エストニアで19日、黒海上に張った氷の上を通る
全長26キロメートルの自動車道が開通しました。
この道路は、港町ロフキュラとヒーウマー島を
結びます。
冬季に氷の厚さが車両の通行が
可能な強度まで厚くなると、
「氷上道路」を開通するのが慣わしで、
通常フェリーで往復する距離が、
片道2時間ずつ短縮できるそうです。
法律では氷の厚みが25センチあれば
開通許可が出せると決められていますが、
地元当局では全域で氷が30センチに
達するまで待つそうです。
「氷上道路」の開通期間は天候しだいで
前年は2月中の11日間だけでした。
気温が高いのはもちろんのこと、
低すぎても氷の内部に割れ目ができてしまうため、
通行は不可能になるということです。
エストニアは東ヨーロッパの国で、
バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)
のうちもっとも北に位置する国です。
ラトビア、ロシアと国境を接し、
バルト海とフィンランド湾に面しています。
北海道の役6割の広さで、人口は約134万人です。
首都のタリンは、中世の空気を今に伝える港町です。
タリンの旧市街は城壁に取り囲まれており、
「ドイツらしい街並み」が複雑な歴史的背景の中で
保存されてきました。
ドイツ人のバルト進出が始まったのは13世紀、
十字軍が本来の目的を逸脱して異教徒攻撃に
走り出した時代です。
また、バルト海で、北部ドイツを中心とする
商人の「ハンザ同盟」が勢力を広げ、
高価なろうや毛皮のロシアとの貿易で
利益を上げていたじだいで、
現在のエストニアには4つのハンザ都市が
あったそうです。
16世紀半ばには騎士団が解体し、
同様にハンザ同盟も衰退し、消滅しました。
けれども、各地に残ったドイツ人と商人は
バルト地区の実質的支配権を握り続けました。
しかし1939年の独ソ不可侵条約締結後、
ヒットラーの命により残っていた
最後のドイツ人が本国に引き上げ、
700年におよぶバルト地域支配の歴史に
終止符が打たれたのです。
そしてソ連の占領による閉塞の50年を経て、
1990から91年にかけて相次いでバルト3国が
独立を宣言しました。
現在エストニアは、バルト3国中で最も
経済状況は良好だそうです。
フィンランドから高速船で1時間半という立地と、
世界文化遺産に登録されたタリン歴史地区を背景に、
近年は観光産業が発達しています。
大相撲力士の把瑠都 凱斗(ばると かいと)は、
エストニアの出身です。
四股名は母国エストニアが面するバルト海から
つけられた事は有名ですね。
エストニア・タリン↓(注意:音が鳴ります)