ドイツ・ハンブルクで開催中の
スーパーコンピューター(スパコン)の
国際会議で20日、
スパコンの計算能力ランキングが発表され、
理化学研究所と富士通が共同で開発した
次世代スパコン「京(けい)」が1位となりました。
2位で中国製の「天河1号A」の
3倍を超えるダントツの性能です。
計算速度は、1秒当たり8162兆回。
2004年6月の海洋研究開発機構の
「地球シミュレータ」以来、
7年ぶりに日本勢が首位を奪還しました。
東京工業大の「TSUBAME(ツバメ)2・0」も
5位に食い込んだそうです。
「京」は神戸市の理研神戸研究所で06年から
開発が始まりました。
総事業費は1120億円。
毎秒1京(1兆の1万倍)回の計算速度を目指したため、
この愛称がつけられました。
スパコンは米欧中で開発競争が激しく、
めざす「世界一」が危ぶまれた時期もありました。
09年11月の事業仕分けでは、当時の蓮舫行政刷新相が
「世界一になる理由は何があるんでしょうか
2位じゃダメなんでしょうか」などと詰め寄り、
事実上凍結の判定を受けたものの
後に予算が認められた経緯があります。
日本のスパコン世界一に↓(注意:音が鳴ります)
スーパーコンピュータとは何かというと、
大規模な科学技術計算を高速で実行できる
コンピュータです。
例えば、答えが出るのに100年かかる計算を
1万倍速くて3~4日で計算する事が実行可能となります。
このような高性能が必要な一つの例は、
天気予報です。
全部で100万個のボックスの温度や湿度などの
状態を変数とした何百万変数もの方程式を解いて、
どのように空気が動き、温度や湿度がどう変化するかを
計算します。
スーパーコンピュータの歴史は、
高性能コンピュータの軍事利用/軍事技術としての
側面を切り離して語ることができません。
特に黎明期のコンピュータの納入先は、
アメリカの軍事関連研究所が殆どで、
民間での利用も軍需産業を中心としていたそうです。
そのため、市場のほとんどをアメリカ製品が
占める状況でした。
その後、貿易立国を国是とした日本が、
コンピュータなどの高付加価値技術製品の輸出を
国策として取り組み、アメリカ独占となっていた
海外市場に乗り込んでいきました。
このことが、アメリカ人のプライドを大きく刺激
したこととなり、その結果、
アメリカの政府調達や欧米の研究機関への
スパコン導入において、アメリカ大使館を展示場として展開し、
アメリカ製のみの入札を許可するよう圧力を
かける行為がいたるところで発生しました。
最初のスーパーコンピュータは、
1976年に米国のクレイ社が開発したCRAY-1でしたが、
日本勢との価格性能比競争になれば、
クレイは劣敗が予想されていたのが事実でした。
そんな中、独自の潮流を築いた日本勢の
スーパーコンピュータ群は民間利用を中心に展開し、
産業面でのシミュレーションの利用率を高めて行きました。
スーパーコンピュータは
政治的な取引きに利用される事が多いのですが、
人類の知的領域の拡大という人類全体への貢献を含め、
先導的な科学領域へのビッグプロジェクトにおいては、
システムとして日米とも垣根を越えて協力しています。
富士通スパコン
★☆ちょっと一言 ☆★
1923年、関東大震災によって東京・横浜は焦土と化し、
電信・電話設備も壊滅的な打撃を受けました。
この年に設立したのが「富士電機製造株式会社」でした。
もとは発電機・電動機の国産化を目的に
ドイツのシーメンス社と古河電気工業がつくった会社で、
シーメンス社製の交換機・通信機器の輸入販売を
行っていましたが、後にステップバイステップ自動交換機の
国産化に成功しました。
これをきっかけとして、日本における通信の
目ざましい発展が始まったと言われています。
たとえ災害に遭っても、新しく生み出して行く
日本人のパワーや努力は今も変わらないと思います。