西アフリカ・マリの首都バマコから
約1000キロ北、サハラ砂漠の端にある
伝説の砂漠都市トンブクトゥはかつて、
イスラム世界の「知の都」でした。
「333聖人の町」「砂漠の真珠」などの異名を持つ町の名は、
「辺境の地」を指す代名詞でもあります。
1998年に国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の
世界遺産に登録され、人気の観光スポットと
なっていました。
しかし2011年、外国人3人が誘拐され
1人が殺害される事件が起きて以降、
観光客の姿はめっきり減りました。
今年3月には町を囲むように、
イスラム系反政府勢力の旗が立てられました。
こうしたなか、ユネスコは今年6月、
イスラム強硬勢力に掌握されたトンブクトゥを
「危機遺産リスト」に登録しました。
トンブクトゥ
伝説の都市トンブクトゥが騒乱に巻き込まれたのは、
歴史上初めてではありません。
この町は5~11世紀、トゥアレグ人の
砂漠の遊牧民らによって築かれました。
やがてアフリカの北と西、南を結ぶ交通の要衝となり、
黒人やベルベル人、アラブ人、トゥアレグ遊牧民たちが
行き交う人種のるつぼになりました。
金、塩、象牙、書籍の交易で栄え、
西アフリカで最も裕福な地域となったトンブクトゥには、
アフリカ中から学者や技師、建築家らが集まり、
14世紀までにイスラム文化の一大中心地に成長しました。
1324年、マリ帝国の皇帝マンサ・ムーサが
メッカを巡礼したとき、皇帝はエジプト・カイロ経由で
メッカに向かいました。
その際、人夫6万人にトンブクトゥで入手した
それぞれ3キロずつの黄金を運ばせていました。
この膨大な金の流入が原因で
エジプトの通貨は下落し、トンブクトゥは
アフリカの謎の黄金都市として地図に載るように
なったということです。
巡礼から帰ったムーサ皇帝はトンブクトゥの
3大モスクの1つ、ジンガリベリ・モスク
を建造したが、このモスクは700年が過ぎた
今も現存しています。
豊かな歴史を持つトンブクトゥですが、
現在は貧困に苦しみ、若者の失業率が高い町で、
砂漠の砂に飲み込まれつつあります。
★☆ちょっと一言 ☆★
砂漠の町は、緑がほとんどありません。
ひょうたん水の里は、
海と山に挟まれて、緑いっぱいです。
緑豊かなひょうたん水の里で
一枚一枚手摘みして、
良い材料だけを手選別
手洗浄してうみ出されたのが
ひょうたん水です。
━━☆●☆━━
あせもの出来やすい季節です。
お子さんのあせもの為にと、
先日ひょうたん水をご購入下さったKさんは、
お薬は怖いから、安心で安全な
ひょうたん水がお気に入りです。
と、小さなお子さんを2人お連れになり
来社されました。
有難うございました。